資本主義的な生き物としての街。その新陳代謝からはじかれていく人々。だがこの映画は一概に「新しいオークランド」からのバックラッシュを訴えるものではない。コリンの母親は「街がマシになってきたから引っ越したくない」と語るし、なにせいちばん古い層では、奴隷制からの歴史がコリン(たち)を撃とうと待ち構えているのだ。
本作の重層性を象徴的に示すキーワードは「ニガー」だろう。元来ニグロを語源とする被差別語だが、コリンは逆に少年の頃からマイルズを「ニガー」と呼んできた。しかしマイルズの方は決してコリンを「ニガー」とは呼ばない。ここにはマイルズの友情の流儀と、差別意識が反転して絡まった様相が表われている。
また黒人であるマイルズの妻アシュリー。彼女にとって決定的だったのは、マイルズが無邪気に“KILL A HIPSTER SAVING YOUR HOOD”(ヒップスターを殺して街を守れ)と書かれたTシャツを着た直後、彼が自宅に持ち込んでいた銃を幼い息子がいじっていた件。この恐ろしい緊迫感のあと、夫に生き方の改善を強く突きつける。だがマイルズは妻から「ニガー」と呼ばれるのは嫌う。その意味では彼も「ニガー」からの脱出を希求している。
この映画では随所に分割画面が用いられるが、二極的な格差や比較がテーマではない。顕在化されるのは複雑なレイヤーで無数に顔を出す“小さな分断”だ。社会の一筋縄ではいかない捻れは人間関係にも反映され、だからこそ我々は丁寧に融和を目指していかねばならない。これは日本でもまったく同じ課題だろう。
ベイエリア出身のライター/パフォーマー/プロデューサー。スラム・ポエトリーの大会、Brave New Voicesに参加し、その後HBOの番組「デフ・ポエトリー」に3シーズン出演。さらに、詩/音楽/ウェブ動画などを製作し、YouTubeやFacebookで4,000,000視聴を超える人気クリエイターに。2008年から2010年まではウィスコンシン大学マディソン校でクリエイティブ・ディレクターを務め、24以上のステージを監督した。ライターとして、またヴォーカル・アーティストとして、彼の舞台はリンカーン・センター、サンフランシスコ・オペラハウス、NYU、ケネディー・センターを含む100ヵ所以上で上演されている。楽曲もリリースしており、MTV、ShowtimeやSXSW、サンダンス映画祭などで取り上げられている。また、ニューヨーク、ザ・パブリック・シアターで開催されている#BARSのアーティスト・ディレクターであり、設立者でもある。